泰然自若な絵画の人!遠藤良太郎先生って?
遠藤 良太郎 先生
ON

名前:遠藤良太郎
学科:美術・工芸学科
専門分野:絵画
自己紹介
専攻分野は絵画。かれこれ40年、絵を描き続けている。
現在の研究課題は「絵画と言語 / 藝術の役割、社会と人類について / 絵画論」(長岡造形大学公式ホームページより抜粋)。

ご自身から見て、先生はどんな人ですか?
いきなりだけど、先生っていうけど、大学の教員といっても高校までの先生と大学の先生って全然違うものだと思う。
多分、学生は(高校生までの先生と)同じ温度感で接して来るけどね。
じゃあ高校までの頃と何が違うかっていうと、大学の教員って、教職免許持ってなくてもできるし、それこそ大学を卒業してなくてもできる。もちろん日本の教育受けてなくても外国の人もできる。
大学教員は教えることに特化しているのではなく、何か専門が一つしっかりとある人ってことだよね。
それを踏まえて、おれは教員である以前に、絵を描く人なんだよね。
それがあって大学に来てる。
先生という以前に、絵描きであるっていう感じかな。
なるほど。ありがとうございます。
先生は、どのようにお仕事をされていますか?
とにかく、24時間営業なんですよ。
例えば、家でニュースを見ていても絵画制作の材料になるし、夢も制作の材料になる。
家の猫の絵も描くし、家でする草むしりの絵も描くし。
だから、仕事とプライベートの切り替えって、あんまりないんだよね。
ONの時間にも、OFFの時間にも、絵画が関わってくるんですね!
そうそう。だからあんまりOFFの時間ていうのはなくて、常にONだ。
会社員の人でも残業を家に持ち帰ったりすると、ONとOFFの境目がなくなるでしょ?
俺らは、そもそもその境目をなくしてるっていうこと。

作品画像はすべて遠藤先生のウェブサイトより引用(https://re-painter.jimdofree.com)
制作におけるテーマ
なるほど。先生の、最近の制作の「テーマ」などを伺ってもいいですか?
30代から一貫しているけど、「イメージとは何か」ということ。
絵もイメージ。写真もイメージ。夢の中で見るのもイメージ。
世の中って、めっちゃイメージだらけじゃん。
イメージで溢れている世の中で、さらに絵を描いてイメージを作り続けているっていう循環がある。
だから、なんで人間はイメージを作るのか、っていうのを、ずっとテーマにしてる。
人間はイメージを乱造してるくせに、現実の夕陽を見て「綺麗だなあ」とか言ってるわけじゃん。じゃあイメージなんて作らず自然でいいじゃんってね。
そういうのを、学生の頃からテーマにしてた。
で、ずっとわからなかったけど、最近わかったことがあって。
人間は「言葉を持つ」んだよね。多分、言葉を持つ生き物として、イメージが絶対必要で、手放せない。
最近はそういう感じで考えてる。
とてもおもしろいですね。その主題が先生の制作の中では、どのようなかたちで表れているんですか。
例えば、ミライエ長岡の大きな壁画あるでしょ?

ありますね。
あの背景に、大きなパターンがあるでしょ。
あれはillustrator(Adobeソフト)でつくったパターンを、画面の背景としているのね。
こういう「模様」はさ、絵と言葉の中間なんだよね。
詳しく言うと、例えば漢字っていうのは全部、元々は「絵」じゃん。象形文字だから。
自然の中の、落ち葉の模様とか雲の形とか、そういうパターンを拾ってきて、図形化して、漢字という言葉になってるわけでしょ。
つまり、パターンっていうのは、自然から拾ってきた形を、人間が言語にする中間の状態ってこと。
だからそのパターンをいま、「言葉とイメージの中間」として絵の中に取り込むっていうことをやってる。
実は、ミライエの作品の背景は記号になってて、読解できるようになってるんだよね。
え!?そうなんですか!?
はっきり何かを言ってる訳じゃないけど、なんとなく記号っぽく見えてくるようにはなってる。
・・・でもこれ、あんまり言わない方がいいやつなんですよ。
絵をそういう風に「だけ」見られちゃうとさ、面白くないじゃん。
自由に見て欲しい。答え合わせをせずにね。
こういう風に見られると嫌だな、とかはないですか?
そういうのはないね。自由に見て欲しい。
ただ、学生時代の作品の見せ合いは、よく変な感じになってたね。
と、言うと?
学生ってみんな必死に絵を描くから、俺はよく喧嘩してたな。ここが嫌いとか、つまんねえ絵だなとかって。
でも、今の子達ってあんまり言わないよね。
いつの間にか褒め合いになってる。
そうですね。人を傷つけることがダメだって、昔から言われてきました。
いや、傷つかないとダメですよ。
傷ついて、次からはそう言われないようにしようって試行錯誤して、発展していくんだから。
悪口言われるだけで終わってたら、仕事を一生懸命やってないのかなと思っちゃうけどね。
なるほど・・・勉強になります。
先生は絵を描き始めてから今まで、どのように過ごしてこられたんですか?
絵は、17から描き始めたから、かれこれ40年になる。
17で美術部に入って、その時の先生が油絵の道具を貸してくれて始めたんだよね。
なんでこうなったかっていうのは、成り行きでしかない。
それまで画家には全然なりたくなかったし、一人で絵を描いてるなんてしょぼくて嫌だなと思ってた。
だけど、進路を考えるようになった時、足を壊してそれまでやっていた陸上ができなくなって、先生に「お前絵が上手いから」って美術部に誘われてから、美大を目指し始めた。その時の先生はまさかそんなこと言い出すとは思わなくて、「ごめんな」とかいわれたりしたけどね。
まあちっちゃい頃から絵を描くのは好きで、体育と美術だけ成績がよかった。数学は2だけど、体育や美術は5みたいなね。
で、陸上もできなくなったし、他にどうやって生きていこうと思った時に、美術しかないなって。
それから、彫刻はなんか違うし、デジタルっていう選択肢は当時なかったし、粘土とかはやっても面白くなくて、絵画になった。
写真とかはすごく見てたし、興味はあったけど、なんだかんだ成り行きで絵画になったな。
それから、おれたちは、60年代の有名なアーティスト、例えばデイヴィッド・ホックニーとかから入ったかな。
同時に戦後すぐのアメリカの抽象表現主義もみて、「うわ、かっこいい」って。
ただ当時、おれは美大受験してて、そういう「ポップ・アート」とか「抽象表現主義」とかは受験に全然役に立たない感じだったの。
どうしてもそういうのがやりたくてやってみると、講評の時に先生に「なにやってんの」って叱られたりした。
そこから講評にはでないことにしたね(笑)。
そういう感じで、二浪が終わる頃にはめちゃめちゃペインティングにはまってた。
その頃からやっと、ごちゃ混ぜに吸収してきたものが自分の形になり始めて、美大受験に通用するようになって、大学に入って画家を目指した。
受験絵画ですごくオーソドクスなもの(ザ・受験絵画)を描く人もいるけど、ただ手本通りに描いても、その人が描く意味がないなって思う。
そういうオーソドクスなものが悪いわけじゃないけど、それは多くの人がやっているから、その中でめちゃくちゃうまいやつしか通らない。上澄みだけ。
受験絵画を見る先生も一流だから、基礎ができているのは「当たり前」として受け取るよね。それよりかは、何が描きたいかを表現して、好きなようにやって、抑えるところを抑えるというようにする方が、いいんじゃないかと思ったりね。

ありがとうございます。少し話を戻して、制作中の考えなどを伺います。
先生の作品では、デジタル的な要素とアナログ的な要素が入り混じっているものがありますが、デジタル要素のみのものは見たことがないです。
なにかこだわりがありますか?
2005年に、「Painting Free」っていう展覧会を開いたんだよね。
「Painting Free」ってどういう意味だと思う?
アルコールフリー的な・・・
「ペインティングしない」ってことですか?
そう。ペンタブを使ってデジタル上で描いて、業者に頼んで印刷してもらう。プリントアウトするまでは、いっさい作品自体に触れない。で、最後にちょっとだけ、ピッピッピって、間違えた塗り絵みたいに描き足す。ただそれがね、全然かっこよくなんなくて、それで、嫌になっちゃった。
だからどこかで作品に「触る」ようにしてる。
2016年とかに描いた作品では、illustratorを使ったシリーズもやっていたけど、もうコロナ以降(2023年)の絵になると普通にキャンバスで絵を描くようになった。こういうやり方は大学時代以来。
それで、2023年からはずっと絵の具ばかりを使って製作をした。でも、それもダメだなと思ってたの。元々の「描かないこと=描くことの拡張」との融合するところを探りたくて。
そしたら、つい最近!2025年、今年の6月、やっと融合できるところが見つかってきて、今いい感じ。(※取材当時は2025年12月)

先生にとっての「曇り」
それでは、このサイトになぞらえて、先生の中の「曇り」を伺いたいです。
2020年にコロナが始まってから、2025年の6月くらいまではずっとうまくいかなかった。
大体5年くらい。
タバコ休憩をしている時に、ふと「ここから消えてなくなってしまいたい」とか考えたり…。
ええ!そんなに大変だったんですね。
コロナあたりから、もう本当に自分の絵が見えてこなくて。
それはコロナ禍のせいで?
いや、関係ない。
コロナが始まる前、ここに赴任してきた2014年から5年くらいは、忙しすぎて研究室で絵を描いたりしてた。
もう、空間も時間もなくて仕事にならなくて。絵を描くことが止められてるのがすっごいしんどかった。
そしたらコロナが始まって、チャンス!ってめっちゃ絵を描き始めた。
そしたら、うまくいかない。

絵を描く時間はできたけど、肝心の絵が上手くいかないと。
新しいことをやろうとしてたからね。今までとちょっと違う方向にいこうとした、ものすごくむずかしくなっちゃって。
それでうんうん唸っても、ここらじゃ絵の話をする人もいないし、家に帰ればカミさんも娘も“オシカツ”とかやってるし、、、
なるほど。でも、6月に光が見えてきた訳ですよね。
そう。まあ絵を描くと、やっぱり終わりが来なくて、そういうのも曇りと言えるかもしれない。
描いてやり直してっていうのは永遠にできるけど、かっこよく言えば、終わりは絵が教えてくれる。
もう手を出すな、って。
へえ!
学生を見てると、一生懸命描いて絵の前から離れないけど、もし俺に万歩計つけたら、俺はアトリエの中ずっとうろうろしてるのがわかると思う。描いて離れて、描いて離れて。
で、最後の最後のになってくると、絵が「もうやらんでくれ」って言ってくる。
ただ、そこで終われたからといって、いい絵になるとは限らない。
60点もあれば、80点もあるし、100点近いのもいる。
だけど、「終われ」と言われて終わったからには、そこで終わる良さっていうものがあってさ。
全体が60点の絵の一部に、100点近い箇所が紛れていても、それをまとめようとすると光ってた1箇所は消えちゃうわけよ。
だから、「終われ」って言われたら、そのまま残す。
まあそういう、終わるタイミングの判断は経験かもしれないけど。
でも、一生終われない子(=作品)もいる。そういうのは、横に置いといて、また別日に見る。そうしたら、またその絵が入っていることは変わってくる。
絵の完成っていうのはなかなか決めにくいけど、完成するために絵をまとめちゃうと、つまらなくなる。
中途半端に見えるのもよくないけど、まとめすぎてつまらなくなるのも、よくない。けどこういうのはあくまでおれの話で、画家はみんな違うと思う。
・・・以前いた、ある教員の研究室の話なんだけど。
その先生の机の上はね、書類でうわあって散らかってるんだ。
でも、その散らかり方がめっちゃかっこいいんだよ。
整然としたかっこよさもあるけど、俺がやりたいのはそうじゃない。そういう、散らかった中のかっこよさ。

わかる気がします。かっこつけていない、かっこよさは確かにありますよね。
今回は、美術・工芸学科の遠藤先生にお話を伺いました。
ありがとうございました〜!
⬇︎遠藤先生の作品が閲覧できるウェブサイトはこちら
https://re-painter.jimdofree.com
